鶴岡八幡宮

  

鶴岡八幡宮です。

康平六年(1063年)源頼義が奥州を平定し鎌倉に帰り、材木座に源氏の氏神として八幡宮(京都の岩清水八幡宮を由衣郷鶴岡に勧請、現在の由比若宮(元八幡))をお祀りしたのが始まりです。

その後、源頼朝公が鎌倉に入るや直ちに現在の地に遷し(鶴岡若宮と称した)祀り、建久二年(1191年)焼失後、すぐに若宮(下宮)を再建、本宮(上宮)を創建、上下両宮の現在の姿に整えられ、1193年(建久四年)には、下拝殿(舞殿)が新造されました。

 

現在の建物は、若宮が1624年(寛永元年)に徳川幕府二代将軍徳川秀忠によって再建造営、本宮は1828年(文政十一年)に十一第将軍徳川家斉によって造営された流権現造りの代表的な江戸建築です。

 

木造弁財天坐像(裸弁財天)は国重要文化財で鎌倉国宝館で見ることができます。

 

一礼してから三の鳥居をくぐると太鼓橋があります。

 

旗上弁財天社です。

 

旗上弁財天社奥にある、政子石です。

 

流鏑馬馬場です。

 

流鏑馬馬場右手に、源氏池休憩所があります。

源氏池休憩所から見た旗上弁財天社です。

 

流鏑馬馬場をさらにまっすぐ行くと、静桜と実朝桜があります。

 

流鏑馬馬場横にある鶴岡幼稚園を右手に見ながら、鳥居をくぐると、畠山重忠邸址の碑があります。

 

流鏑馬馬場を反対方向に、西の鳥居付近のトイレの前にある「よじべえ石」です。

看板も何もないので、知らないとただのでかい石ですね。

元々、材木座海岸の沖にあり関東大震災で海底が隆起して現れた大石で、その場所は漁師の網が切られたり、泳いでいる子どもが引き込まれたりして魔の場所として知られていたそうです。

で、何で「よじべえ」かというと、山口県下関市の関門海峡の大瀬戸に暗礁があり、死の瀬と言われていて場所が与次兵衛ヶ瀬という地名だったことから、謂れがおなじということで、「よじべえ石」と名付けられたそうですよ。

 

手水舎です。誰もいないのは、中々珍しくないですか(笑)?

 

手水舎左手奥にある祖霊社です。

祖霊社は氏子崇敬者の祖霊と護国の英霊とをお祀りするために、戦後創建されたお社だそうです。

誰もいません。本当にここ、鶴岡八幡宮か?と思ってしまいます。

 

舞殿です。

 

若宮です。仁徳天皇・履中天皇・仲姫命・磐之媛命をお祀りしているそうです。

 

大石段の左右にある、笑っているように見える狛犬です。

 

親銀杏と子銀杏です。

隠れイチョウは源実朝を殺めるために八幡宮別当公暁がイチョウの陰に隠れていたと言う伝説があります。

2010年(平成二十二年)三月に強風のために倒伏しました。

国指定史跡です。

 

本宮(上宮)です。

 

本宮左、武内社です。武内宿禰命をお祀りしています。延命長寿のご利益があるそうです。

 

菅裸馬の実朝の句碑です。菅裸馬(菅礼之助)は源実朝の研究者としての実績も残した俳人だそうで、白旗神社手前にも実朝を偲ぶ句碑があります。 菅裸馬の提唱によって1927年から実朝忌俳句大会が始められたそうで、その記念として昭和36年にこの碑が建立されたそうです。

 

鶴亀石です。水で洗うと鶴や亀のような輝きを出すと伝えられる名石だそうです。

 

由比若宮逢拝所です。八幡宮の本宮である由比若宮を遥拝するところだそうです。

 

若宮と白旗神社の間にある柳原神池の前に立つ柳原の碑です。神池は6月上旬の蛍放生祭で蛍が放たれ、例大祭期間中の9月16日は鈴虫が放生されるそうです。

 

白旗神社です。頼朝公・実朝公をお祀りしてあります。