鶴岡八幡宮

 

2018年1月10日に、鶴岡八幡宮を参拝しました。

 

写真は、Canon EOS 6D MarkII Canon 24-105mmF/4L IS II USMによるものです。

 

この日は天気も良く、三の鳥居と鳶をうまく収めることができました。

 

 

源平池と水鳥たちです。

 

旗上弁財天社奥にある、政子石です。

 

流鏑馬馬場のトイレ前にある、よじべえ石です。

 

舞殿です。

 

大石段の左右にある、笑っているように見える狛犬です。

 

本宮(上宮)です。

 

鶴岡八幡宮鎌倉国宝館前にある実朝の歌碑です。

 

以下は、Canon EOS Kiss x7による、2018年以前のものです。 

 

鶴岡八幡宮です。

康平6年(1063年)源頼義が欧州を平定し鎌倉に帰り、材木座に源氏の氏神として八幡宮をお祀りしたのが始まりです。

その後、源頼朝公が鎌倉に入るや直ちに現在の地に遷し祀り、建久2年(1191年)には上下両宮の現在の姿に整えられました。

現在の建物は、文政11年(1828年)造営で流権現造りの代表的な江戸建築です。

若宮(下宮)は、寛永元年(11624年)に修復したものもで、上宮とともに国の重要文化財に指定されています。


鶴岡八幡宮を、ヘリから撮ってみました。

 

段葛の終わり、鶴岡八幡宮の入り口、三の鳥居です。

 

源平池です。

 

2015年12月25日、冬の鶴岡八幡宮です。

夕日が鮮やかです。

 

以下は、2016年3月28日に参拝した時の写真です。

撮影禁止って、書いてあったけど、中を撮ってないからいいよね。

 

以下の写真は、2016年10月17日に参拝した時のものです。

 

以下の写真は、2016年11月18日に参拝した時のものです。

 

流鏑馬馬場横にある鶴岡幼稚園を右手に見ながら、鳥居をくぐると、畠山重忠邸址の碑があります。

 

流鏑馬馬場を反対方向に、西の鳥居付近のトイレの前にある「よじべえ石」です。

看板も何もないので、知らないとただのでかい石ですね。

元々、材木座海岸の沖にあり関東大震災で海底が隆起して現れた大石で、その場所は漁師の網が切られたり、泳いでいる子どもが引き込まれたりして魔の場所として知られていたそうです。

で、何で「よじべえ」かというと、山口県下関市の関門海峡の大瀬戸に暗礁があり、死の瀬と言われていて場所が与次兵衛ヶ瀬という地名だったことから、謂れがおなじということで、「よじべえ石」と名付けられたそうですよ。

 

以下の写真は、2016年12月19日に参拝した時のものです。


旗上弁財天社奥、源氏池すぐそばにある政子石です。

看板がないと分からないかも。

 

この日は栗鼠が出迎えてくれました。

 

2017年1月4日、三が日過ぎたから少しは空いてるかと思ってけど、無駄でした(笑)。

 

2017年1月19日に参拝した時の、鎌倉国宝館です。

 

以下の写真は、2017年2月2日に参拝した時のものです。

最初は由比若宮逢拝所です。

 

続いて、菅裸馬の実朝の句碑です。菅裸馬(菅礼之助)は源実朝の研究者としての実績も残した俳人だそうで、白旗神社手前にも実朝を偲ぶ句碑があります。 菅裸馬の提唱によって1927年から実朝忌俳句大会が始められたそうで、その記念として昭和36年にこの碑が建立されたそうです。

 

2017年2月18日に撮った、古神札納め所です。

本宮を正面に見て、左手にあります。

古いお札などをこちらに納めます。

 

2017年4月18日に参拝した時、栗鼠が出迎えてくれました。

地元住民の方にとっては害獣ですけどね。

 

以下の写真は、2017年5月11日に参拝した時の写真です。

 

 

2017年5月11日に撮影、鎌倉国宝館前にある、源実朝の歌碑です。

「山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」とあるそうですが、遠くて分からん(笑)。

この碑は、関東大震災で倒壊した二の鳥居の柱が使用されているそうです。

三代将軍源実朝は、歌人としての才能を発揮し、その名を世に残しました。『金槐和歌集』は、実朝が編纂した歌集です。

 

 

鶴岡八幡宮の御朱印です。

書き手によって全然違うんですよね、こちらは年配の宮司さんに書いていただいたものです。

もう一つは、鎌倉江ノ島七福神です。


 

この地図は、鎌倉 神社をマークしています。