東慶寺 〜駆け込み寺

 

鎌倉三十三観音霊場 第三十二番札所 聖観世音

鎌倉尼五山 第二位(他四寺は廃寺)

ご詠歌 たのもしや ちかひのみちは ときはにて そのしるしある 松の岡やま

 

駆け込み寺として有名な東慶寺ですね。 開山は、八代執権北条時宗の妻で覚山尼(かくざんに)、覚山尼の法号は、無学祖元より授けられたものだそうです。開基は、北条時宗と覚山尼の子の九代執権北条貞時。

後醍醐天皇の皇女五世用堂尼以来、高い格式を誇りました。

豊臣秀頼の娘、二十世天秀尼は徳川家康の孫娘千姫の養女でもあったので、江戸時代には徳川家の厚い庇護を受けたそうです。

 

封建時代は女性の側から離婚できなかった時代です。東慶寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、明治に至るまでの600年にわたり、「縁切りの寺法」を引き継いできたお寺です。明治4年(1871年)の廃仏毀釈により縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年(1902)に幕を閉じました。現在は臨済宗円覚寺派の男僧寺です。

 

明治38年(1905年)に釈宗演禅師が入寺、中興開山となり、新たに禅寺としての歩みを始めました。明治の高僧と言われ、門下には居士、哲学者、政財界人が多く、抜群の英語力を活かし禅を「ZEN」として世界に広めた仏教学者の鈴木大拙もその一人です。

墓苑にはゆかりの数多くの哲学者、文学者、実業家たちが眠っています。のちに裏山に「松ヶ岡文庫」を設立し、世界的禅文化の発展の拠点ともなりました。

 

北鎌倉駅から鎌倉街道を鎌倉方面に数分、東慶寺入り口です。

入ってすぐ右手に、東慶寺ギャラリー&ショップがあります、入ったことないけど(笑)。



入り口脇には、こんな案内碑があります。

 

山門の階段手前にある夏目漱石参禅100年記念碑です。漱石は、円覚寺そして東慶寺に来ているんですね。

碑は、上が釈宗演禅師、下が漱石の文だそうです。

 

東慶寺山門です。駆け込んできた女人を守る!感じの急な石段ですね。

 

山門をくぐると、左手に田村俊子記念碑があり、奥に鐘楼があります。鐘楼の上部四箇所に動物の像が彫ってあります。

 

書院を見ながら右手に進むと、四賀光子の歌碑があります。四賀光子の墓は、夫の太田水穂とともに、この東慶寺の墓苑にあります。

 

右手には本堂があり、釈宗演禅師に見出された植村宗光和尚の宗光塔があります。 

 

本堂には本尊である阿弥陀如来像が安置されています。

阿弥陀如来像の左は二十世天秀尼、右は開山覚山尼像と五世用堂尼像です。

 

本堂を出て右、金佛があります。

 

さらに進むと、松岡宝蔵があり、その前に君が代で知られるさざれ石があります。

 

松岡宝蔵内の木造聖観世音立像(写真撮影可・フラッシュNG)です。

心が洗われますね。

 

松ヶ岡文庫の碑、安宅弥吉翁碑を超え更に進みます。

 

右手に急な階段があります。

階段を登ると、第五世後醍醐天皇皇女用堂尼の墓、東慶寺開山北条時宗夫人覚山志道尼の墓などがあります。

 

階段を下り、右手に進むと墓苑が広がります。数多くの哲学者、文学者、実業家たちの墓があります。

一つ一つの墓には、特に案内があるわけでもないので、東慶寺のホームページの墓苑地図などを参考にしながら、お目当の方の墓を探すとよいでしょう、もちろん静かに眠っておられるので参拝する方も静かに。