来迎寺 〜材木座の時宗のお寺〜
宗派 | 時宗藤沢清浄光寺末 |
山号・寺号 | 随我山来迎寺 |
創建 |
建久5年(1194年) |
開山(寺院を開創した僧侶) |
音阿上人 |
開基(寺院を創立すること、それをした僧) | - |
本尊(本堂に安置され最も尊重されている仏像) | 阿弥陀三尊 |
住所 | 鎌倉市材木座2-9-19 |
アクセス | 鎌倉駅東口より徒歩18分 |
拝観時間 | 9時半〜16時半 |
拝観料 | 無料 |
鎌倉三十三観音霊場 第十四番札所 聖観世音
ご詠歌 たちいにも 念仏のこえを たづねつつ むかうる慈悲の ふかきみほとけ
1335年(建武2年)に開山となる音阿が時宗に改宗したそうです、ちなみに、西御門の来迎寺も時宗ですね。
材木座にある時宗の来迎寺(同名の寺院が西御門にあります)は、1194年(建久5年)に源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うために建立した能蔵寺(真言宗でした)が始まりとされています。
三浦大介義明(「だいすけ」ではなく「おおすけ」)は、源氏累代の家臣として源頼朝の父である源義朝を助け、子の義澄とともに保元・平治の乱でも義朝に従い戦った武将で、娘のひとりは義朝の側室ともなったそうです。
後に頼朝が挙兵すると即参戦、石橋山の戦いで頼朝が敗戦すると、衣笠城に篭城し、畠山重忠らが率いる平氏勢に攻められると子の義澄ら一族を逃し、独り奮戦の後敗死したと伝えられています。そりゃ、弔いますよね。
頼朝は十七回忌まで義明が生きたものもとみなすよう伝えたため、「百六つ義明公」とも呼ばれました。
さて、入り口です。ここを右に入っていきます。


入って右手、 三浦大介義明公の墓と臣下の多々良三郎重春公の墓があります。

奥には三浦大介公家来の墓があるのですが、仕切りがあって、入るのにちょっとためらいます。
でもわざわざ矢印付きの案内板があるのですから、入っても大丈夫なはず、で、入りました(笑)。

ここに入るには、閉じてある門を手で開けるのですが、右手が人家でちょっと躊躇う。
でも、思い切って入りました。
三浦大介公家来の墓です。


境内です。
多分、子育て観音様。








鎌倉三十三観音の御朱印です。

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