妙本寺 〜日蓮宗の霊跡本山〜
日蓮宗の霊跡本山、妙本寺です。「比企の乱」で知られる比企一族の邸宅跡だそうです。
開基は比企能員の子、能本。
総門をくぐって左手に蛇苦止堂(じゃくしどう)、正面方丈門をくぐると広大な境内が広がります。
祖師堂脇から祇園山ハイキングコースに抜けることもできます。
総門です。
総門右手にある比企能員邸址の碑です。ここ妙本寺は、比企能員邸の址なのですね。
比企能員は源頼朝の乳母である比企尼の養子で、平氏討伐に加わり頼朝の信頼を得、頼朝の死後は頼家と結び、権力を振るいましたが、北条氏討伐を企てたことを北条政子に知られ、名越の北条邸にて謀殺されました。
方丈門です。
方丈門を潜らずに左に行くと、蛇苦止堂(蛇苦止堂は比企谷妙本寺の守り神(鎮守)蛇苦止明神を祀るお堂)があります。
大きな本堂です。
鐘楼です。
少し進むと、弁柄塗りの二天門があります。
日蓮宗の開祖である日蓮聖人(祖師)を祀るお堂である、祖師堂です。
参道が非常に美しいですね。こちらのカイドウは有名ですが、現在のカイドウは、小林秀雄が「中原中也の思ひ出」に描いたという木から数えて三代目だそうです。ちなみに鎌倉の三大カイドウ、妙本寺・光則寺・安国論寺です。
比企一族の墓の前にある一幡之君袖塚(いちまんのきみそでづか)です。
頼家の側室となった比企能員の娘讃岐局は嫡子一幡君と姫君竹御所を産み、一幡君の誕生により比企一族は将軍家の外戚という強い関係になりましたが、北条一族の策略により、この邸において亡ぼされました、有名な比企の乱ですね。
讃岐局は池に身を投げて自死し、一幡君の小御所も焼かれ、6歳で焼死してしまったそうです。
焼け跡に残った一幡君の小袖を供養するため建てられたのがこの袖塚です。
知らないとただの古い石碑ですね。
さて、方丈門前を左手に行くと、蛇苦止堂があります。
1260年(文応元年)に北条政村(後の七代執権)の娘が比企能員の娘(若狭局)に祟られ、蛇のような狂態を見せるようになり、鶴岡八幡宮の加持祈祷によって快復し、のちに政村が比企の邸跡に若狭局を蛇苦止明神として祀る社を建立した、それが蛇苦止堂なんだそうです。