妙本寺 〜日蓮宗の霊跡本山

宗派 日蓮宗
山号・寺号  長興山妙本寺

創建

文応元年(1260年)
開山(寺院を開創した僧侶)

日蓮聖人

開基(寺院を創立すること、それをした僧) 比企大学三郎熊本
本尊(本堂に安置され最も尊重されている仏像) 十界大曼荼羅御本尊 
住所 鎌倉市大町1-15-1
アクセス 鎌倉駅東口より徒歩10分
拝観時間 特になし
拝観料 志納100円

 

日蓮宗の霊跡本山、妙本寺です。

「比企の乱」で知られる比企一族の邸宅跡だそうです。

総門をくぐって左手に蛇苦止堂(じゃくしどう)、正面方丈門をくぐると広大な境内が広がります。

祖師堂脇から祇園山ハイキングコースに抜けることもできます。

 

写真は、2018年3月13日の一人鎌倉散策の時のもの、Canon EOS 6D MarkII Canon 24-105mmF/4L IS II USMによる比企能員邸址のj碑です。

 

以下の写真は、Canon EOS Kiss x7による、2018年以前のものです。

 

総門です。

 

方丈門です。

 

一番手前、寺務所・書院です。

御朱印やパンフレット(100円)などはこちらです。

 

本堂です。

 

歴代墓所です。

 

鐘楼堂です。

 

二天門です。

 

二天門から振り返ると石段があります。

 

二天門をくぐってすぐ左手、大きな日蓮上人銅像があります。

 

境内です。

 

祖師堂です。

秋は紅葉が見事です。猫も何匹か挨拶に出てきてくれます。

 

方丈門前を左手に行くと、蛇苦止堂があります。

 

以下の写真は2017年11月に参拝して時のものです。

総門です。

この日は、小学生たちが元気よく出て来ました。

 

総門右手にある比企能員邸址の碑です。

ここ妙本寺は、比企能員邸の址なのですね。

比企能員は源頼朝の乳母である比企尼の容姿で、平氏討伐に加わり頼朝の信頼を得、頼朝の死後は頼家と結び、権力を振るいましたが、北条氏討伐を企てたことを北条政子に知られ、名越の北条邸にて謀殺されました。

 

 

方丈門です。

方丈門を潜らずに左に行くと、蛇苦止堂(蛇苦止堂は比企谷妙本寺の守り神(鎮守)蛇苦止明神を祀るお堂)があります。

今回は参拝しませんでした。

 

大きな本堂です。

 

鐘楼です。

11月初旬ではまだ紅葉には早いですね。

 

鐘楼の手前に歴代廟があります。

妙本寺の歴代の住職の墓所ですね。

 

少し進むと、弁柄塗りの二天門があります。

 

二天門右手にある霊跡の碑です。

 

二天門の左右に、持国天・多聞天があります。

一般的な寺院に見られる仁王門とは違い、妙本寺では、仏教の守護を誓われた帝釈天に仕える四天王(持国・広目・増長・多聞)のうち、持国天と多聞天を安置してあることから二天門と言うそうです。

正面の祖師堂に向かって右側に持国天、多聞天は左側に足下に邪鬼を踏みつけ仏法を守護する構えを見せているそうですが、足元までは見えないのです。

 

日蓮宗の開祖である日蓮聖人(祖師)を祀るお堂である、祖師堂です。

参道が非常に美しいですね。

この時期、カイドウも枯れていますね。

現在のカイドウは、小林秀雄が「中原中也の思ひ出」に描いたという木から数えて三代目だそうです。

ちなみに鎌倉の三大カイドウ、妙本寺・光則寺・安国論寺ですね。

 

祖師堂への参道左手に、日蓮聖人銅像があります。

かなりの大きさで、迫力あります。

足元に永縁廟になっています。

 

海棠花下吟の碑だそうですが、これが何なんだか分からない。。。

まぁ、妙本寺のカイドウは有名なので、その何かなんでしょう。

 

祖師堂右手にある比企一族の墓です。

今回の参拝はこれが目的でした。

 

祖師堂左手にある仙覚律師之碑です。

万葉集研究遺蹟とも言われます。

天台宗の僧侶で比企一族の一人、第4代将軍頼経の命により「万葉集」の校訂に着手、その研究の成果により現在でも我々が万葉集を読むことができるそうですよ。

 

源よし(女篇に美しい)子の墓です。

知らないとここはなかなか行けない。

源頼家と比企能員の娘讃岐局との間に生まれ、比企の乱で一族が滅ぼされた後も生き残り、祖母北条政子の死後、幕府の中で唯一、頼朝の血をひく者として御家人一同の尊敬を集めたそうです。

政権維持のため、幕府は京都から4大将軍藤原頼経を迎え、よし(女篇に美しい)子は奥方となったそうですよ。

 

日蓮聖人銅像後ろの墓場にある上村海軍大将之墓です。

熱心な日蓮宗の信者だったそうです。

 

宗祖讃歎之碑(しゅうそさんだんのひ)です。

この碑もなかなか気づきにくい。

大正、昭和に活躍した漢学者塚本柳斉の詩碑ですね。

 

比企一族の墓の前にある一幡之君袖塚(いちまんのきみそでづか)です。

頼家の側室となった比企能員の娘讃岐局は嫡子一幡君と姫君竹御所を産み、一幡君の誕生により比企一族は将軍家の外戚という強い関係になりましたが、北条一族の策略により、この邸において亡ぼされました、有名な比企の乱ですね。

讃岐局は池に身を投げて自死し、一幡君の小御所も焼かれ、6歳で焼死してしまったそうです。

焼け跡に残った一幡君の小袖を供養するため建てられたのがこの袖塚です。

知らないとただの古い石碑ですね。

 

妙本寺の御朱印です。