光明寺 〜浄土宗大本山〜
鎌倉三十三観音霊場 第十八番札所 如意輪観世音
鎌倉二十四地蔵尊 第二十二番札所 網引延命地蔵尊
鎌倉六阿弥陀 第二番 阿弥陀如来
ご詠歌 いつる日も 入る日もともに 南無阿弥陀 ほとけのひかり うけぬ日ぞなき
鎌倉幕府大四代執権北条経時が然阿良忠(ねんなりょうちゅう)(記主禅師)を迎えて開いた浄土宗の大本山です。
材木座の海岸がすぐそばです。
光明寺は、歴代執権の帰依を受け、大寺院に発展し念仏道場の中心となっていき、江戸時代には「関東十八檀林」の筆頭寺院として修行の中心地として栄えたそうです。
10月12日〜15日に行われる「十夜法要」は浄土宗の信徒が集まり、世を徹して本堂で念仏や御詠歌を唱える念仏会、境内に露天が立ち並びます。元々、十日十夜に渡り本堂で念仏を唱えると千年の修行に匹敵すると言われていました。1495年(明応四年)に後土御門天皇から光明寺に十夜法要が勅許され、全国の浄土宗の寺院で行われる元になったのだそうです。現在は三日三晩に縮小、「お十夜」の名で市民に親しまれています。
寺宝の「当麻曼陀羅縁起二巻」は、延岡藩主内藤義概の寄進による鎌倉時代の作品。国宝で、鎌倉国宝館で見ることができます。
戦後間もなく(1946年(昭和21年))、新しい時代の教育を目指す自由大学(各種学校)「鎌倉アカデミア(鎌倉大学校)」が光明寺内に開校されました。初代校長は飯塚友一郎。高見順や吉野秀雄ら鎌倉在住の作家・文化人が教授人に名を連ね、映画監督鈴木清順は同校の映画科で学んだそうです。なお、鎌倉アカデミアは資金的な問題で四年半で閉校したそうです。
境内には光明寺の大檀家である、磐城平藩主(後に日向延岡藩主)の内藤家歴代の墓があります。
巨大な宝筐印塔が数十基あり、ど迫力です。
まずは総門から。
総門を抜けると山門があります。
山門の「天照山」の扁額は後花園天皇の直筆と伝えられます。
また、後土御門天皇からは関東総本山の称号を受け、勅願所に定められました。「十夜法要」も勅許されました。
山門をくぐった左手には、寺務所、奥に開山堂、その奥に善導大師像があります。
山門正面に大殿(本堂)があります。
中は壮大で、写真撮影もOK、行った時、たまたま法要があり、僧侶の方がたくさん忙しそうに立ち働いていました。
大殿周りは渡り廊下になっていて、左方向に行くと、小堀遠州の流れを汲む記主庭園や大聖閣があります。
大殿の渡り廊下を右手に行くと、三尊五祖の石庭があります。
三尊五祖は、秩父青石のうち、奥の三石が阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)を表し、手前の五石が五祖(釈迦・善導・法然・鎮西・記主)を表しているのだそうです。
美しい石庭で心が洗われます。
石庭前に網引地蔵尊と延命地蔵尊があります。