別願寺 〜大町の時宗のお寺〜
宗派 | 時宗藤沢清浄光寺末(とうたくしょうじょうこうじまつ) |
山号・寺号 | 稲荷山超世院別願寺(とうかさんちょうせいいん) |
創建 |
弘安五年(1282年) |
開山(寺院を開創した僧侶) | 覚阿公忍 |
開基(寺院を創立すること、それをした僧) | - |
本尊(本堂に安置され最も尊重されている仏像) | 阿弥陀如来 |
住所 | 鎌倉市大町1-11-4 |
アクセス | 鎌倉駅東口より徒歩12分 |
拝観時間 | 特になし |
拝観料 | 無料 |
鎌倉三十三観音霊場 第十三番札所 魚藍観世音
ご詠歌 とかおもく まよいのつもる つゆの身も たのむ仏の ひかりにぞきゆ
別願寺は、鎌倉公方代々の菩提寺で、鎌倉での時宗の中心として栄えたお寺です。
あまり大きなお寺ではなく、(そもそもお寺に見えません、山門もないし)見逃してしまうくらいです。
もとは真言宗の寺で能成寺と言い、1282年、住職の公忍が一遍に帰依し、名を覚阿と改め、時宗に改宗しました。
同時に寺の名を別願寺としたそうです。
境内には、室町幕府に対して「永享の乱(鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立に端を発した、足利義教が持氏討伐を命じた戦い)」を起こした足利持氏(四代鎌倉公方)のものとされる供養塔(宝塔)があり、持氏の怒りを鎮めるため、四方に鳥居の浮彫りが施されています。別願寺入り口を入ってすぐ左手、道からは見えないので、知らないと発見できないですね。大きな供養塔です。
また大正期には作家の広津和郎が下宿していました。





別願寺入り口右手にある墓所。「倶合一処(くえいっしょ)」と読むらしいけど、旧字?
浄土真宗などで使われる言葉だそうで、死後、極楽浄土で仏や菩薩たちと出会えるという意味だそうです。
で、この墓所、永享の乱の戦没者の墓所らしい。



鎌倉三十三観音の御朱印です。

この地図は、鎌倉三十三観音のお寺をマークしています。