別願寺 〜大町の時宗のお寺

鎌倉三十三観音霊場 第十三番札所 魚藍観世音

ご詠歌 とかおもく まよいのつもる つゆの身も たのむ仏の ひかりにぞきゆ

 

別願寺は、鎌倉公方代々の菩提寺で、鎌倉での時宗の中心として栄えたお寺です。

あまり大きなお寺ではなく、(そもそもお寺に見えません、山門もないし)見逃してしまうくらいです。

 

もとは真言宗の寺で能成寺と言い、1282年、住職の公忍が一遍に帰依し、名を覚阿と改め、時宗に改宗しました。

同時に寺の名を別願寺としたそうです。

 

境内には、室町幕府に対して「永享の乱(鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立に端を発した、足利義教が持氏討伐を命じた戦い)」を起こした足利持氏(四代鎌倉公方)のものとされる供養塔(宝塔)があり、持氏の怒りを鎮めるため、四方に鳥居の浮彫りが施されています。別願寺入り口を入ってすぐ左手、道からは見えないので、知らないと発見できないですね。大きな供養塔です。

 

また大正期には作家の広津和郎が下宿していました。