東勝寺跡 〜北条高時と一族自刃

 

宝戒寺から数分、新田義貞の鎌倉攻めによって敗れた北条高時とその一族を含む約870名が自刃した東勝寺跡があります。

宝戒寺裏の東勝寺橋を渡るとすぐです。ちなみに、東勝寺そのものは廃寺となっていて、建物はありません。

 

歴史の話。

倒幕を企てて隠岐に流されていた後醍醐天皇が、伯耆国の船上山で倒幕の挙兵、鎌倉幕府は足利高氏(後の尊氏)を京へ派遣するのですが、高氏は幕府を裏切り、六波羅探題を攻め滅ぼしました。

上野国では新田義貞が討幕の挙兵、稲村ヶ崎を突破し、鎌倉に侵攻。北条高時と北条一族は東勝寺橋を渡り、東勝寺まで退いて、そこで自刃したそうです。

 

東勝寺跡のすぐ奥に、高時腹切やぐらがあります。一人で行くにはちょっと度胸がいるかも(笑)。

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