建長寺 〜鎌倉五山第一位

 

鎌倉五山 第一位

鎌倉三十三観音霊場 第二十八番札所 千手観世音

鎌倉二十四地蔵尊 第九番札所 心平寺地蔵尊・第十番札所 済田地蔵尊・第十一番札所 勝上献地蔵尊

鎌倉三名鐘 梵鐘

ご詠歌 世の中の やみぢをてらす みほとけの きよきひかりの かぎりなければ

 

建長寺は巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。

建長5年(1253年)に鎌倉幕府五代執権北条時頼が、宋の蘭渓道隆(大覚禅師)を開山に招き建立した我が国最初の禅寺です。

山号は巨福呂坂に、寺名は創建時の元号に由来します。

地獄谷と呼ばれた刑場の跡地に建てられました。

 

蘭渓道隆は千人を超える修行僧を指導したそうですが、そのとき使われた自筆の指導書「法語規則」(国宝)が残っていて、鎌倉国宝館で見ることができます。

66際で示寂(菩薩や高僧が死ぬこと)し、後宇多天皇から大覚禅師(日本初の禅師号)を与えられました。

境内は国指定です。

 

建長寺に入る前に、徳川光圀の「鎌倉日記」に記載があり、「建長寺境内絵図」にも描かれていた鎌倉五名水の一つ、金龍水のあった場所から。

北鎌倉駅から建長寺に向かい、外門手前にあるポスト手前の色が違うタイルの部分です。

 

もともと建長寺門前にあったものが、道路拡張工事の際に埋められてしまったのだそうです。

 

建長寺入り口です。

 

「天下禅林」 

わが国最初の禅宗寺院で、鎌倉五山第一位の建長寺を象徴する語で、西の外門(北鎌倉側門)に掲げられています。

人材を広く天下に求め育成する禅寺という意味だそうです。

 

総門(巨福門)です。

1783年(天明3年)に建立された京都の槃舟三昧院(はんしゅうざんまいいん)の門を昭和15年に移築したものだそうです。

 

総門奥、楼上に五百羅漢などが安置された三解脱門(三門(国重要文化財))です。

 

三門の下に鎮座するおびんずる様、お釈迦様の弟子で十六羅漢の一人だそうです。

 

仏殿前の柏槇(びゃくしん)です。仏殿の前栽として参拝道の両側に7本の古木があります。

蘭渓道隆が種を宋から持ってきたと伝えられています。

 

仏殿(国重要文化財)です。

本尊地蔵菩薩を安置し、法要を行います。

 

仏殿向かって右手には半鐘があります。

 

本尊地蔵菩薩像です。大きさに圧倒されますね。

 

右手には伽藍神像、暗すぎて見逃しがちですね。

 

仏殿と連なるように法堂(はっとう・国重要文化財)があります。

法堂は、住職が仏に代わり須弥壇(しゅみだん)上で説法するためのお堂で、拈華堂ともいうそうです。

本来仏像は祀らないそうですが、今は千手観音菩薩を祀っています。

 

創建750年を記念して、小泉淳作によって描かれた「雲龍図」、爪が5本なのが変わっています。

円覚寺の仏殿の天井画、前田青邨監修で守屋多々志揮毫の「白龍の図」は爪が3本です。

 

東屋の横に、唐門(勅使門・国重要文化財)があります。

唐門は、屋根が唐破風(反曲した曲線上の破風)になっている門のことで、中国式という意味ではありません。

季節によって、蓮が綺麗に咲き、枯れたのちも独特の風合いがあります。 

 

唐門奥の右手が宗務本院、正面が方丈(龍王殿)です。

裏手に蘭渓道隆作の美しい庭園(国指定名称)があります。

 

得月楼です。

得月とは月の景趣を十分に眺めるという意味だそうです。

平成15年、建長寺の創建750年に約590年ぶりに復興されたものだそうです。

 

半僧坊方面に右手に進むと、半僧坊参道が回春院への道と河村瑞賢の墓への道とに分かれる辺りの左手に招寿軒があります。

1965年(昭和40年)に、火災によって焼失しましたが、再建された建物だそうです。

 

作家の葛西善蔵が建長寺塔頭宝珠院で暮らした時に、招寿軒の娘ハナが食事の世話などをしたそうで、小説『おせい』は、そのハナがモデルとなったもので、ハナも同じお墓に眠っているそうです。

 

鎌倉三名鐘の一つ、高さ2メートルを超える梵鐘です。 

大檀那・北条時頼、撰文・蘭渓道隆、鋳物師・物部重光です。