景清窟・向陽庵大悲堂碑
仮粧坂のそば、曲がり角に二つの碑(一つは地上、もう一つはちょっと上)があります。
ちょっと上のものが、「水鑑景清大居士」と刻まれた碑。
源頼朝の暗殺を企てた平氏の侍大将平景清(本当の姓は藤原)が幽閉されていた牢の跡である景清窟があった所だそうです。
碑の下には、向陽庵大悲堂碑があります。
景清の娘である人丸姫は、捕えられた父に会うため京都より鎌倉に下ってきましたが会うことはできず、景清の死後に尼となり、景清が幽閉されていた石牢の上に、景清の守本尊(十一面観音像、現在は海蔵寺にあるそうです)を祀りました。
それが向陽庵だそうで、その数年後に亡くなった人丸姫は、扇ヶ谷近辺に葬られ、そこは人丸塚と呼ばれていました。
現在は安養院に預けられています。
こちらが、ちょっと上にある碑。

こちらが、向陽庵大悲堂碑。文字が見えん(笑)。ちょっと上に、水鑑景清大居士の碑が見えますよね。

岩田薫 (水曜日, 18 11月 2020 09:17)
新たな向陽庵ゆかりの墓石を我が家横から発見しました。岩田かおるのブログに書きました。参考にしていただければ幸いです。