長勝寿院跡

 

長勝寿院の旧蹟です。

源頼朝が建てた3大寺院である鎌倉八幡宮寺、法華堂、そして長勝寿院、勝長寿院は、1185年(文治元年)に源頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立しただそうです。当時この辺りは、南の御堂または大御堂(おおみどう)と言われていました。現在もその名が残されていて、そういえば近くに大御堂橋がありますね。

1185年、後白河法皇から送られた源義朝と、義朝に仕えた鎌田政長(政清・政家)の首を葬り、追善の法会が行われたそうです。源義朝は、1159年(平治元年)の平治の乱に敗れて東国に逃れる途中、尾張国野間で長田忠致の裏切りに遭い、郎党の鎌田政長とともに殺されました。

勝長寿院には本尊・金色阿弥陀仏像、阿弥陀堂、法華堂、三重の宝塔などの荘厳な伽藍が建ち並び、源氏の菩提寺的存在だったそうです。三代将軍実朝はしばしば同院を訪ね、何首かの歌を残しています。

 

古寺の くち木の梅も 春雨に そぼちて花も ほろこびにけり

 

1219年(承久元年)、実朝が公暁に殺害されると火葬にして同院に葬られたました。北条政子は実朝追福のため、同院の傍らに五仏堂を創建し、運慶作の五大尊像を安置しています。1225年(嘉禄元年)に政子が没すると同院で火葬にされました。

 

この寺は1256年(康元元年)12月の火事で消失しましたが、1258年(正嘉2年)、北条時頼によって再建され、鎌倉幕府滅亡後も足利氏によって保護されていました、が再び焼失してしまい、その後廃寺となったそうです。